フィギュアスケートを題材にした『ぼくのお日さま』を長編映画2本目として世に出した若手の映画監督・奥山大史さん。
奥山大史さんは過去にフィギュアスケートをやっていたこともあり、撮影は奥山監督自らスケートを滑りながら行われたそうです。
奥山大史さんのフィギュアスケート時代がどんなだったのか気になる人もいるのではないでしょうか?
そこで今回は奥山大史監督のフィギュアスケートの経歴についてリサーチしてみました。
奥山大史のフィギュアスケート経歴まとめ!
奥山大史監督は幼少期にフィギュアスケートを7年やっていました。
子どもの頃に7年間フィギュアスケートを習っていた奥山監督が、フィギュアスケートを題材にした映画を撮りたいと企画を始動。
出典:FLYING POSTMAN
7年とは…習い事にしては長いデス!本格的にやっていたのでしょうカ?
調べてみるとお姉さんはかなり本格的にフィギュアスケートに取り組まれていたようです。
僕は小学生のときに、姉がフィギュアスケートの競技選手を目指していたので、一緒にスケートリンクに通って7年ほど習っていました。
出典:GOETHE
では奥山大史さんのフィギュアスケートの成績はどのくらいのものだったのでしょうか?
所属していたスケートクラブと併せて調べてみました。
奥山大史が通っていたスクールはどこ?
奥山大史さんが通っていたスクールは【kose新横浜スケートセンター】です。
オール関東フィギュアスケート選手権大会の記録に奥山大史さんの名前がありました。
またSNSの情報によると奥山大史さんはフラワースケーターを務めたことがあるようです。
フラワースケーターとは、フィギュアスケートで選手が競技したあとに観客がスケート場に投げる花束を拾う係のことです。
日本で有名なプロフィギュアスケーターの浅田真央さん、羽生結弦さん、宇野昌磨さん、紀平梨花選手もやっていたことがあります。
フラワースケーターはトップスケーターを目指す子どもたちにとって憧れの場だそうなのですが、連盟に選手登録し全日本選手権の地方予選で入賞している必要があります。
つまり奥山大史さんもフィギュアスケートで良い成績を残すほど本格的に取り組まれていたんですね。
当時奥山大史さんは新横浜や明治神宮外苑のスケートリンクで練習に励んでいたそうです。
まとめ
今回は奥山大史さんのフィギュアスケート時代についてリサーチしてみました。
- 小学生のころから7年間フィギュアスケートをしていた
- 競技選手を目指す姉と一緒に取り組んでいた
- 通っていたスクールは新横浜プリンスFSC
- フラワースケーターの経験がある
最後までご覧いただきありがとうございました!